母親の気持ちを先にしてしまう人へ
「いい娘コンプレックス」は診断名ではありません。母への愛情を減らさずに、自分の選択を取り戻す心の自立の練習です。
母から電話がかかってくると、自分の気分より先に母の声のトーンをうかがってしまう人がいます。「お母さんががっかりするかも」という理由で、週末の予定や転職、恋愛、旅行の計画を何度も後回しにしたことがあるなら、少し立ち止まってみる価値があります。
韓国では、こうした様子を「いい娘コンプレックス」や「いい娘症候群」と呼ぶことがよくあります。日本でいう「いい子症候群」や、母との関係に悩む娘の話にも通じるところがあるかもしれません。まずはっきりさせておきたいのは、これが精神医学の正式な診断名ではないということです。母の期待や気持ちを先回りして読み取りすぎ、断ったあとに大きな罪悪感を抱く様子を説明する、日常の言葉にすぎません。ですから、「私はいい娘症候群の患者だ」と自分にレッテルを貼る必要はありません。
「いい娘コンプレックス」はどんな形で現れるのか
たとえば、こんな場面です。金曜の夜、友人たちとずっと楽しみにしていた旅行の計画を立てていると、母から「今週末は帰ってくるよね?」というメッセージが届きます。特に何か用事があるわけではありません。それでも、旅行の話をしたら母の声が沈みそうな気がして、結局友人たちに「今回は私、やめておくね」と送ります。週末はずっと実家で過ごしますが、気持ちは落ち着きません。
別の場面もあります。転職したいのに、母はいまの会社が安定しているといって喜んでいます。転職の話を切り出す前から母のがっかりした顔が浮かび、気づけば1年も履歴書を直し続けています。
二つの場面に共通しているのは、母が実際には一度も反対していないことです。娘が母の反応を先回りして想像し、その想像だけで自分の選択を引っ込めています。いい娘コンプレックスの核心は、母が何を求めたかよりも、娘のなかで母の気持ちがどれほど大きな場所を占めているかにあるといえます。
心の自立は、離れていくことではありません
「心理的な自立」と聞くと、母と距離をとったり連絡を減らしたりする姿をまず思い浮かべがちです。けれど、心理学でいう自立は少し意味が違います。
ジェフリー・ホフマンは1984年、大学生を対象に親からの心理的な分離を測る尺度をつくり、それを四つに分けました。親の助けなしに生活の実務をこなす「機能的自立」、親の承認や情緒的な支えを過度に必要としない「情緒的自立」、親とは違う価値観や信念を持つ「態度的自立」、そして親との関係で過度な罪悪感や不安、怒りといった感情に振り回されない「葛藤的自立」です。大学生150人を調べたこの研究では、葛藤的自立が恋愛を含む個人的な適応と、情緒的自立が学業への適応と関連していました。アメリカの大学生のサンプルから出た結果なので、韓国や日本の大人にそのまま当てはめることはできませんが、自立を一つのかたまりではなく、いくつかの領域に分けて見られるという点は役に立ちます。
こう分けてみると、いい娘コンプレックスがどこでつまずいているのかが少しはっきりします。家賃も払い、仕事もきちんとこなしている、生活面では完全に自立している人でも、母が寂しそうにしたときに押し寄せる罪悪感からはまったく自由ではない、ということがあるからです。こういう人に必要なのは引っ越しではなく、葛藤的自立、つまり母の寂しさを母の気持ちとしてそのままにしておく練習です。
家族療法の理論家マレー・ボーエンが唱えた「自己分化」も、同じところを指しています。近い関係のなかでも、自分の考えと感情を区別して保つ力のことです。分化がよくできている人は、家族と近くにいながらも、家族の不安に一緒に巻き込まれません。
自律とは「一人でやること」ではなく「自分で選ぶこと」
自律という言葉も、よく誤解されます。ベルギーの研究者ソーネンスとヴァンスティーンキステの研究チームは2007年、親による自律性の支援を二つに分けました。一つは、親に頼らないように独立を後押しするやり方。もう一つは、子どもが自分で同意し納得した選択ができるように手助けするやり方です。後期青年期の若者396人(平均18.7歳)を調べたこの研究では、どちらのやり方も適応と関連していましたが、ほかの要因をあわせて考えると、適応を独自に説明していたのは後者だけでした。ベルギーのサンプルであること、回答者の79%が女性だったことには限界があります。
この区別が「いい娘」に与えるヒントはこうです。母の助言を聞いてそのとおりにすること自体は、問題ではありません。自分で聞いて納得して選んだなら、それも自律的な選択です。問題は、納得していないのに罪悪感から選んでしまう場合です。外から見れば同じ決定でも、心のなかの過程が違います。
反対に、親の側が罪悪感を刺激したり愛情を引っ込めたりして、子どもの考えや感情を動かそうとすることもあります。ブライアン・バーバーはこうした態度を「心理的統制」と名づけ、青少年を対象とした研究で抑うつなどの内在化問題と一貫して結びつくという結果を報告しました。「お母さん、あなたのせいで眠れなかったのよ」のような言葉が繰り返されるなら、娘の罪悪感は娘が一人でつくったものではないのかもしれません。
大人になった子どもと親のあいだで、自立や連絡の頻度、望まない助言をめぐって緊張が生まれるのはよくあることです。母との距離を調整したいと思ったからといって、悪い娘になるわけではありません。
母の側から見ると、また事情が違うかもしれません。母は娘をコントロールしようとしたのではなく、心配が先に立って言葉が多くなっただけかもしれませんし、娘が寂しさに気づいて合わせてくれることを自然に受け入れてきたのかもしれません。どちらかが悪いというより、二人とも慣れたやり方で動いてきたのです。だからこそ、変化は娘が話し方を少し変えるところから始まることが多いのです。母を説得しようとするより、自分の決定の伝え方を変えるほうが、ぶつかることが少なくて済みます。
今日から変えてみる言葉:心の自立の練習5ステップ
一度に変わるものではありません。負担の少ないものから順番に試してみてください。
- すぐに返事をしない。 母の頼みにすぐ「うん」と言わず、「考えてから夜に返事するね」と時間をつくります。そのあいだに、自分が本当に望んでいることを一行で書き出してみてください。
- 許可を求める代わりに共有する。 「お母さん、これしてもいい?」の代わりに、「私はこうすることにしたよ。お母さんの考えも聞きたいな」と言ってみます。決定の主語を自分に移す練習です。
- 小さな「ノー」から。 週末の帰省のように結果がそれほど大きくないことから、「今週は難しいから、来週行くね」と言ってみます。代わりの案を一緒に出すと、断る言葉が柔らかく聞こえます。
- 寂しさを解決しようとしない。 母が寂しそうにしたら、「寂しいよね」と言うところまでにします。寂しさを和らげるために決定を取り消さないことがポイントです。母の気持ちは、母が感じてよい気持ちです。
- 罪悪感をサインとしてだけ受け取る。 断ったあとに罪悪感を覚えるのは自然な反応です。罪悪感があるからといって、あなたが悪いことをしたわけではありません。数日たってから関係が大丈夫か確かめてみると、関係は思っていたほど簡単には揺らがないとわかることもあります。
自分と母の距離を気軽に振り返ってみたいなら、ママっ子度テストを試してみる方法もあります。10問で「線を引く独立型」「ほどよい距離の現実型」「リアルタイム共有の親友型」「ママっ子型」のどれかを教えてくれる、お楽しみ用のテストです。どのタイプになっても良し悪しを判定するものではないので、いまの距離が自分の望む距離なのかを考える出発点として使ってみてください。
この記事は診断ではありません。母との関係からくる罪悪感や不安が、眠れないほど大きかったり、日常生活を揺るがすほどだったりするなら、カウンセリング機関や精神科・心療内科などの専門家に相談することをおすすめします。
母への愛情を減らさなくても、自分を大切にできます
「いい娘」という言葉には、ほめ言葉と重荷の両方が入っています。母を大切に思う気持ちはそのままにして、その気持ちのせいで自分の人生を後回しにし続ける習慣だけを、少しずつ手放していけばいいのです。
母が寂しそうにする日も来るでしょう。それでも、関係は思っているより簡単には壊れません。違う選択をしても変わらず母と娘でいられると確かめた瞬間、心の自立はもう始まっています。
参考文献
- Hoffman, J. A. (1984). Psychological separation of late adolescents from their parents. Journal of Counseling Psychology, 31(2), 170–178.(アメリカの大学生150人のサンプル)
- Soenens, B., Vansteenkiste, M., Lens, W., Luyckx, K., Goossens, L., Beyers, W., & Ryan, R. M. (2007). Conceptualizing parental autonomy support: Adolescent perceptions of promotion of independence versus promotion of volitional functioning. Developmental Psychology, 43(3), 633–646.(ベルギーの後期青年期の若者396人)
母と娘の親しさと境界線
全4話中1話- 01 母親の気持ちを先にしてしまう人へ
- 02 母親と親友すぎて苦しくなるとき
- 03 母親と仲がいいのは問題?
- 04 お母さんとの距離感は?親しさを振り返る8つの質問